開運コラム

2021.06.26[体験談]

気多大社の蛇

 能登の国一之宮、気多大社の広い境内で御朱印を受けに行くと言ったままいってしまった妻とはぐれてしまいました。あちらこちら捜しながら見つからず、結局長い参道を戻り、入り口の大鳥居のあたりに差し掛かった時背後から私を呼ぶ妻の大きな声がしました。
 「あなた、早く、早く!待ってくれているから!」
 振り向くとあわてた様子で参道を駆けてきた妻が手招きしています。
 何事かと見失わないように走りながら後を追います。参道脇にそれたかとおもうと木々の緑の中を縫うようにずんずん進みます。国の天然記念物に指定されている”入らずの森”の手前あたりにつくと地面を指さしました。
 なにやら奇妙なものが目に入りました。よく見ると全長1メ-トル近くはあろうかという細長い胴体の蛇でした。
 暗緑色に黒い斑紋があり、調べるとヤマカガシらしいことがわかりました。ねじるよう半転させた鮮やかな若草色の顔の側面をこちらにむけ、首をもたげたまま静止していました。捕獲した土色のヒキガエルを大胆におしりのほうからのみこんでその顔と前肢が口からはみだしています。
 「すごい!わたしの言ったことちゃんと聞いてそのままのかっこうでずっと待ってくれていたんだ!もういなくなっちゃたかと思ったよ。」
 私を探して入った拝殿脇の森の中ですごいスピードで苔むした地面を這うその蛇に遭遇し、思わず声をかけたといいます。
 「ねえねえ、ちょっと待って!今パパ呼んでくるからそれまでちょっと待ってて!」
 驚いたことにその声に反応するかのように蛇はピタッと動きを止めて振り返り、その時の姿勢を保ったまま待っていてくれたと妻が言います。そのまま言うことが本当なら時間にするとおそらくは4、5分は待ってくれていたことになるのではないかと思います。妻は怖がりもせず近づいたり、離れたりしながら写真を撮っています。
 今まさに飲み込まれようとしてるヒキガエルは抵抗する術もなく、ぐったりとあきらめの表情を浮かべながらただ恨めしげの目をしてこちらをみています。
 それに引き換え蛇はといえば獲物をしとめてどうだと言わんばかりのポ-ズをきめて、誇らしげに鋭い眼光をこちらに投げかけています。

 まだ幼少期のころ、わたしは東京の世田谷区で育ちました。ある時住んでいた家の裏の幼馴染みの家の床下換気口から都会ではすっかり目にすることがなくなった青大将が頭を出しているとちょっとした騒ぎになったことがありました。白衣姿で捕獲用の長い棒のようなものや籠やらを手にした保健所の職員たちが物々しくやってきて家の周りを捜索し始めました。私はその様子を集まった近所の大人たちの間から顔をだしてなりゆきを見守っていました。
 閑静な住宅が広がるそのあたりもむかしは畑や野っぱらが広がり、フクロウなどの野生動物や美しい光沢を見せる玉虫もいたと隣家の老人が言っていました。
 青大将もかつては餌となる生き物にも事欠かなかったに違いありません。宅地化が進み、急速に自然が失われていく中で、次第に行き場を失い人家の薄暗い床下で細々と生きてきたのだろうと今では容易に想像できます。
 そのあと捕獲されたのか、しばらくすると幼馴染みのお母さんに何事か職員が話しかけて、そのまま何事もなかったかのように引き上げていきました。

 「もういいよ。ありがとね。」
 ひとしきり写真を撮り終わった妻が蛇にそういうと、本当に言葉がわかるように一呼吸おいてこちらのようすをうかがったあと、するすると身体をくねらせて去っていきました。原生林の広がる豊かなる森に獲物をくわえたまま意気揚々と引き上げていく後姿が微笑ましくもありました。

 帰る場所のある生き物はみんな幸せです。